理解のある彼女

前回の日記の最後に「最後に自分のことを肯定してくれるのは自分しかいない気がする」と書いたが、これは僕に彼女ができたことがないからだろうか。実際のところではわからないとしか言えないが、もしかしたら多くの人は無条件に肯定してくれる彼女に支えてもらいながら生きているのかもしれないと思うとイライラする。これは映画の中の話でしかないが、僕みたいな人間が多少共感できる主人公は大抵クズだ。だけど口だけは達者で、なぜか物語の中で出会った女の子に惚れられる。その後は大抵悲劇的なラストで終わるのだが、ラストなんてどうでもいい。どんな行為をしても寄り添ってくれる女性が出てきた時点で共感をすることができなくなるのだ。確かに僕は無条件で肯定してくれる彼女を求めているし、妄想している。それらの映画が私のような人間をターゲットに作られているのだとしたら、見事狙い通りなのだろう。羨ましい